淀 城 跡
-歴史・見どころ-
淀城の本丸跡。
鳥羽伏見の戦いの時、藩主の稲葉氏は江戸にいた。
留守部隊は初めは淀川堤まで出陣し、
薩長軍に対抗する姿勢を見せたが、
尾張慶勝の命で兵を引き上げ、
中立の立場を取り、淀城の城門を
固く閉ざしてしまいました。
4日、伏見奉行所から退去してきた
新撰組に属する幕府軍は、
入城を拒否されたため、拠点を失い、
ますます劣勢に立たされました。
山崎に布陣していた藤堂藩もまた官軍へ寝返り、
この2藩の寝返りにより幕府軍は戦意喪失、
大坂へ退却して行きました。
そして鳥羽伏見の戦は終結となります。
淀城本丸の石垣と内堀の一部は公園となり、
京阪淀駅前にただずんでいます。
商店を抜け、競馬場方向へ向かうと
途中、道が高くなっている所があり、
『淀小橋旧跡』の石碑が立っています。
この辺りは、元は宇治川が流れており、
淀小橋〜伏見まで
豊臣秀吉が植えた松が見事だったことから
『千両松』と呼ばれていました。
千両松の激戦で敗れた幕府軍は淀小橋を焼き、
淀城付近に退却して行きました。