倒幕側 ○ 戦闘 ★
その他 □
【鳥羽伏見戦役概要】
慶応四年正月元旦、前年の十月十四日大政奉還した徳川慶喜は
二条城を出て一旦大阪城へ引き上げていた。
慶喜起草の『挙正退奸の書』をもって
朝廷工作などを試みるが取り次いでもらえず、
ついに元旦、大目付滝川播磨守に命じ
『討薩の表』をかかげて上京させた。
会津・桑名など諸藩の兵を集めて一万五千の軍勢が
鳥羽街道・伏見街道の二カ所から進軍した。
鳥羽口は田圃の中の一本道、せいぜい二列縦隊が関の山、
左右に展開出来ない地で戦略的には非常に不利であった。
一方の薩摩・長州部隊四千は鳥羽口から城南宮をへて
伏見まで左右に展開していた。
正月三日、赤池に兵を駐屯させた東軍(幕府軍)は
『小枝橋』に陣取る薩摩兵に通行を迫るが通さない。
その場で朝廷工作の成果報告を待つが使者は戻らない。
しかして同日夕刻、東軍は武力行軍を宣言したとたん
『秋の山』から薩摩の砲が火を噴いた・・・。
第一弾は赤池に待機していた東軍砲兵隊と滝川播磨守に打撃を与え
『鳥羽伏見戦役』が幕を開けた。
近鉄竹田駅
↓ 徒歩7分
● 安楽寿院(大本営跡)(あんらくじゅいん)
鳥羽離宮跡、鳥羽・伏見の戦いでは、
官軍の大本営が置かれていました。
↓ 徒歩8分
★ 城南宮(じょうなんぐう)
鳥羽伏見の戦いのとき、
薩摩藩軍が布陣した場所です。
薩摩藩は小枝橋から城南宮、
そして竹田街道まで列になって布陣しました。
↓ 徒歩5分
★ 小枝橋(こえだばし)
桂川にかかっている橋。
戊辰戦争(鳥羽伏見の戦い)がはじまった場所です。
幕府軍は、ここで薩摩軍に入洛を要求したが
聞き入れられず、薩摩藩が幕府軍に対し
大砲を発砲し開戦しました。
↓ 南へ徒歩2分
★ 赤池(あかいけ)
小枝橋より百五十メートル南へ下がったところに
赤池の交差点があります。
この辺りで東軍が薩摩軍と対峙していました。
↓ 徒歩3分
★ 鳥羽離宮秋の山(とばりきゅうあきのやま)
市バス:城南宮下車、
近 鉄:竹田駅下車、徒歩約15分
薩摩軍の第一砲がここから小枝橋方面に発射され,
戊辰戦争(鳥羽伏見の戦)が始りました。
↓ 徒歩5分
● 悲願寺(ひがんじ)
散乱していた東軍兵士の死体を付近の
住民や僧侶が埋葬した墓地です。
↓ 徒歩4分
● 法伝寺(ほうでんじ) 悲願寺墓地から約300m下鳥羽三町
(悲願寺墓地は下鳥羽小学校近くにある)
東軍が使用した短銃や砲弾、太刀、槍の穂先などが
残されています。
また東軍戦死者名簿もあります。
↓ 徒歩6分
★ 愛宕茶屋(あたごじゃや) 京阪淀駅〜徒歩25分
鳥羽街道の堤防上に愛宕茶屋があります。
この堤の下にある銀杏の大木前には
『戊辰之役東軍戦死者埋骨地』の碑があります。
↓ 徒歩10分
★ 戊辰戦場址の碑(ぼしんせんじょうあとのひ)京阪淀駅〜徒歩15分
もともと愛宕茶屋付近の南堤防上にあったと伝わります。
現在は、納所会館の階段を昇って右手に
『戊辰戦場址』の碑が建ちます。
↓ 徒歩10分
● 妙教寺(みょうきょうじ) 京阪電鉄:淀駅から徒歩20分、
市バス :納所町下車
寺の本堂には東軍の砲弾が
突き抜けた柱が残っています。
↓ 徒歩20分
★ 千両松激戦地(せんりょうまつげきせんち)
伏見区納所下野
(京都競馬場駐車場横高架下)
京阪淀駅〜徒歩20分
1月4日、この千両松付近で、会津藩佐川隊、別選隊、
新撰組などが猛反撃し、一時長州を凌駕しましたが、
薩摩砲兵隊や奇兵隊の応援を得て
長州軍が大激戦を制しました。
↓ 徒歩3分
★ 千両松埋骨地・鎮魂碑(せんりょうまつまいこつち ちんこんひ)
京阪電車の線路に沿って、北東に歩くと
右手は巨大な競馬場が見えてきます。
淀駅から15分くらい歩くとガードの下に
お地蔵さんと大きな石碑とお墓が三基並んで建っています。
お墓の横には『史蹟戊辰役 東軍西軍激戦の址』の
古い碑が立っています。
↓ 徒歩5分
★ 淀城跡〜淀小橋旧跡(よどじょうあと〜よどこばしきゅうせき)
淀城跡 ・京阪:淀駅徒歩3分、現在は石垣のみ。
淀小橋旧跡・京阪:淀駅徒歩5分、
宮前橋「国道淀」交差点付近
ここが淀城の本丸跡。
鳥羽伏見の戦いの時、藩主の稲葉氏は江戸にいました。
留守部隊は初めは淀川堤まで出陣し、
薩長軍に対抗する姿勢を見せたが、
尾張慶勝の命で兵を引き上げ、
中立の立場を取り、淀城の城門を固く閉ざしてしまいました。
↓ 淀駅徒歩5分
京阪淀駅
↓ 京阪本線(普通)6分
京阪橋本駅
↓ 徒歩12分
★ 天王山久修園院(てんのうざんくしゅうえんいん)
京阪橋本駅〜徒歩12分
千両松から橋本に敗走した旧幕府軍は、
天王山久修園院を橋本本営とします。
↓ 徒歩3分
★ 橋本砲台跡地(はしもとほうだいあとち) 京阪橋本駅〜徒歩15分
千両松から敗走を余儀なくされた旧幕府軍は、
橋本に砲台を構え新政府軍を迎え撃とうと試みました。
しかし、対岸の山崎関門を守っていた津藩の裏切りによって
大きな打撃を受けます。
↓ 徒歩12分
京阪橋本駅
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