倒幕側 ○ 戦闘 ★
その他 □
JR丹波口駅
↓ 徒歩3分
● 島原西門跡(しまばらにしもんあと)下京区千本花屋町一筋上ル東入ル
住吉神社の鳥居の脇に『島原西門碑』という
石碑が建っています。
↓ 徒歩3分
● 角屋もてなしの文化美術館(すみやもてなしのぶんかびじゅつかん)
下京区西屋敷揚屋町32/開館時間:10:00〜16:00/
入場料:1000円(青貝の間は+800円で要予約)
当時、島原で遊ぶのには大金がかかりました。
新撰組隊士は滅多に遊びに行けなかった事でしょう。
昔はこの辺りは一面の壬生菜畑で、
壬生の屯所からも島原の灯りが見えましたが、
お金のない平隊士達は、島原の灯りを
羨ましそうに眺めていた事でしょう。
↓ 徒歩6分
● 輪違屋(わちがいや) 下京区西屋敷中之町114
花屋町通を戻り、坊城通を上がったところに
輪違屋(非公開)があります。
赤の輪が二つついた軒灯りが印象的な建物です。
↓ 徒歩2分
● 島原大門(しまばらだいもん) 下京区大門通花屋町
島原大門。現在はたなびく柳が印象的だが、
当時は『見返りの松』と呼ばれる松が植えてありました。
↓ 徒歩5分
● 島田魁家跡(しまだかいいえあと) 下京区大宮旧丹波口下ル
花屋町通を東に入って大宮通に出る
1筋手前に細い路地があります。
この路地の奥に島田魁が住んでいました。
↓ 徒歩5分
● 西本願寺(にしほんがんじ) 下京区堀川花屋町下ル/
拝観時間:5:30〜17:30/
拝観料 :境内無料
島原口のバス停を過ぎ、大宮通を渡ると
花屋町通りが少し北にずれています。更に東へ。
歩道を塞ぐように『新開街路碑』が立っています。
↓ 徒歩4分
☆ 天満屋事件跡(てんまやじけんあと) 下京区油小路正面上ル西側
堀川通を渡って、一筋東の油小路通を南へ。
正面通と交差する辺りにお地蔵さんの祠があります。
その左隣に『勤王之士贈従五位 中井庄五郎殉難の地』という
石碑が建っています。
慶応3(1867)年12月7日夜、旅籠天満屋に泊まっていた
紀州藩の三浦休太郎を土佐の海援隊・陸援隊の残党達が襲撃し、
警護していた新撰組と乱闘になりました。
↓ 徒歩5分
☆ 北小路の変跡(きたこうじのへんあと) 下京区油小路北小路
天満屋跡より一筋南に『北小路通』があります。
ここが天満屋事件の応援部隊が同士討ちをしてしまった所です。
↓ 徒歩3分
☆ 油小路の変跡(あぶらのこうじのへんあと) 下京区油小路七条
油小路を更に南へ。七条通りと交差する所が
油小路七条の辻です。
↓ 徒歩1分
□ 大阪屋(おおさかや) 下京区堀川七条東入ル/定休日:金曜日
油小路七条の西に『自家製うどん・そば自慢のだし 大阪屋』と
書かれた看板が目に入ります。
油小路の変の際、『角の蕎麦屋』の二階で永倉新八らが
伊東甲子太郎の遺体を引き取りに来る御陵衛士を
見張っていたと言います。
↓ 徒歩3分
● 本光寺(ほんこうじ) 下京区油小路通木津屋橋上ル/
説明書:50円(寺内は非公開)
深手を追いながらも防戦したが、
法華寺(本光寺の事)の門前の石碑に倒れかかり、
『奸賊ばら!』と無念の声を上げ、息を絶った場所です。
↓ 徒歩1分
☆ 伊東甲子太郎遭難の地(いとうかしたろうそうなんのち)
下京区油小路木津屋橋西入ル
本光寺を出て油小路を南へすぐ。
木津屋橋通を西に入ったところです。
新撰組の刺客に襲われ深手を負いながら防戦しましたが、
本光寺門前で亡くなりました。
当時は禁門の変による火災で付近は焼け野原になっており、
焼け跡に板囲いがしてあっただけでした。
↓ 徒歩2分
● 近藤勇妾宅跡(こんどういさみしょうたくあと) 下京区堀川通塩小路上ル
新撰組の伍長以上は屯所の近くに家を借りて『休息所』と称し
愛人を住まわせ、そこから通勤することが許されていました。
局長近藤勇は大坂織屋の深雪太夫を落籍させ
醒ヶ井通木津屋橋下ルで住んでいました。
↓ 徒歩3分
● 不動堂村屯所跡(ふどうどうむらとんしょあと) 下京区堀川通塩小路
慶応3(1867)年6月15日、新撰組は屯所を西本願寺から
不動堂村に移しました。
現在のリーガロイヤルホテルの辺りが
不動堂村の屯所があったと思われます。
↓ 徒歩3分
● 不動堂明王院(ふどうどう みょうおういん)
下京区油小路通塩小路下る南不動堂町
堀川通にかかる歩道橋を渡ると、
道祖神社の隣に不動堂・明王院があります。
新撰組最後の屯所のあった地・
不動堂村の名前の由来になったお堂です。
↓ 徒歩5分
JR京都駅
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